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2022年3月20日(日) 角幡唯介 『雪男は向こうからやって来た』を読む

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   本書は、胸躍る探検記であり、「雪男捜索隊」のメンバーや現地住民についてのレポートであり、雪男に対する真摯な考察の書であり、雪男に心をとらわれたひとたちの記録である。雪男という未知の生命体を追う人々の姿を通して、たぶん多くの読者にとって未知の世界であろうヒマラヤの様子や風景を味わうこともできる。  険しい地形であるヒマラヤはダウラギリ山系、コーナボン谷付近(標高3450メートル~5100メートル)の風景が鮮明に描かれている。  角幡氏は、雪男を目撃した経験のある人々と行動をともにし、かれらと接することによって、人間の深淵に迫っていくことになる。本書は雪男ではなく、その深淵を描いているのではないか。本書が迫った深淵とは、人間の「業」や「運命」のようなものである。  最後に本書からの一節を引用しておく。「翌九月四日から本格的な監視態勢に入った。監視活動は作業と呼ぶのが憚られるほど恐ろしく退屈で単調だった。基本的には岩と雪の斜面をただひたすら眺めているだけである。双眼鏡で見つめる先には、ところどころ雪のついた岩の斜面が広がっているだけで、雲の動きの他は変化など何もない。モノトーンの風景をひたすら見続けていると、不思議なもので、時々岩が動いているように錯覚することがあった。凝視すればするほど岩はたしかに動いているように見えるのだが、まわりの景色と照合すると、その位置がしばらく前と全然変わっていないことに気づき、ようやくただの岩だと納得するのである。何か動くものがないかと目を凝らしているものだから、雪男が出てきてほしいという潜在的な願望が目の前のキャンバスに反映されてしまうらしかった。  天気もまたほぼ時間帯ごとにパターンが決まっており、生活のリズムの単調さに拍車をかけた。朝は快晴で始まり気温は氷点下五、六度とそれほど寒さは感じなかったが、午前九時頃になると、猫耳岩の上のあたりで雲が徐々にでき上がり、それから三〇分も経つと、太陽光の熱気で生じた上昇気流に乗り、水蒸気が谷の下からすさまじい速さで上昇する。その結果、昼頃になると稜線キャンプ周辺は濃霧に覆われ視界がほとんどきかなくなった。谷から這い上がって来た霧はいつしか厚い雲に変わり、午後になるとあられを降らせた。そうなると監視は不可能となるので、そこでようやく退屈な作業から解放され、ひそかにありがたみを感じつつテントの中で