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2022年5月29日(日) 植村直己 『青春を山に賭けて』を読む

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   言わずと知れた戦後日本が生んだ最大の探検家にして冒険家である植村直己の青春時代の登山記録。百十ドル(4万円)だけを持ち、アメリカに渡り、アメリカの農園で果実もぎの仕事をやり、移民局に捕まりそうになる。そして、ヨーロッパに渡り、フランスでスキー場のパトロールの仕事を見つける。スキー場で資金を稼ぎながら明治大学山岳部の隊員としてヒマラヤのゴジュンバ・カン(7646m)に登る。そして、欧州大陸最高峰のモン・ブラン(4807m)とマッターホルン(4478m)にひとりで登る。そして、アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ(5895m)とケニヤ山(5200m)に登る。そして、アンデス山脈の主峰、アコンカグア(6960.8m)に単独で登る。そして、アマゾン川を60日間イカダ下りして、日本山岳会のメンバーとして世界最高峰のエベレスト(8848m)に登る。そして、北アメリカ大陸最高峰のマッキンリー(6191m)に単独で挑む。世界五大陸の最高峰を極めた著者は最後に厳冬期のグランド・ジョラス(4208m)北壁に挑む。危険な登山を次々とやってのける著者には畏敬の念を抱く。最後に本書から印象深い箇所を引用しておく。「ヒラリーが苦闘したというチムニーは見当たらない。とうとう頂上近くにきてしまった。近くのコブを頂上と間違えた。ここだと思っているとまだ先があった。南壁をはさんで、西稜からつき上げている最後のコブの手前にきた。もう高いコブは見えない。明らかにエベレストの頂上だ。私をここまで導いてくれた松浦先輩に頂上をゆずった。次いで私もしっかりと頂上を踏みしめた。最終キャンプを出発して三時間過ぎた九時十分だった。一歩一歩登り、頂上に立ったこの瞬間をNHKから借りた16ミリカメラにおさめた。私たちはうれしさのあまり、お互いに抱合ってとびあがり、喜びをわかち合った。ついに私たちは、東南稜からの登頂の重責を果たしたのだ。頂から見わたす景色をさえぎるものは何もなく、見上げていたローツェが眼下に見える。チベット側にあり、途中まったく見えなかったロンブク氷河が、延々と白い帯をなして流れている。ネパール側の針峰群とは対照的に、チベットの荒漠とした高原が地平線に広がっていた。」  文春文庫 660円+税

2022年5月2日(月) 西村賢太 『随筆集 一私小説書きの独語』を読む

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   無頼派作家 西村賢太氏の随筆集。中学を出て、一人暮らしを始めた氏の経歴には興味深いものがある。家賃八千円の部屋に住み始めた描写に始まり、三十キロ程の板状に冷凍されたタコやイカの塊りを、朝から晩まで延々と積み換えてゆくだけの重労働に従事した経験の描写があり、“女体を知る“ためになけなしの日雇い銭をはたいて、風俗業の女性を買淫したり、ソープランド貯金をするために家賃を滞納したりする。挙句の果てに、母や姉に多少の小遣い銭をせびるために出たはずの町田のアパートに戻ったりするのである。この破天荒な著者の道行が実に面白く描かれている。面白い随筆集を読みたい方にはとっておきの一冊である。最後にこの随筆集から興味深い箇所を引用しておくことにする。「それを思えば、昔港湾人足のアルバイトで生計を立てていた頃には、まだその有難さを充分実感できてもいたようだ。とりわけ炎天下の続く真夏の時分に、これはより切実に痛感させられた。艀から引きあげられる、一塊三十キロ程の冷凍タコは、抱え持った時点で表面はベシャベシャに溶けている。これをひたすらパレットに積み換えるだけの単純労働は、またそれだけに時間の果てしない連続性がやりきれなかった。なので、途中で挟まれる休憩時間は一種のオアシスには違いなかったが、如何せん、それは余りにも短すぎた。まず、十時に約十五分の休憩が与えられたが、すぐさま自販機に走り、缶ジュースを飲んで煙草を二本も吸えば、それでもう作業再開と云うことになってしまう。当然、寛ぎなぞ得られようはずもない。次には昼の一時間休みを迎えるが、これも日当からの天引きとなる、仕出しの箱弁を食べ終わればもうグズグズしてはいられない。埠頭の岸壁に身を平たくできるスペースを確保し、早速に横たわる。が、やはり少しでも体を休めるのが目的だから、到底寛ぎの境地とは程遠い。三時からの十五分では、最早体力も限界に近付いている。寛ぎなぞどうでもいいから、ただ、いっとき作業の手を止めたいだけの状態だった。したがってその心境に至るのは、結句終業の瞬間からと云うことになる。あの解放感は、確かに寛ぎの感覚と同種のものと思っていいかもしれない。そのあとでは、何事につけ心に余裕も取り戻せていた。煙草もうまいし、酒もうまいし、飯も大層うまかった。だが所詮はそれも、やや長めの休憩時間と云うにしか過ぎぬ。十二時間経って朝がくると、