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2022年12月22日(木) 安田 登 『体と心がラクになる「和」のウォーキング ー芭蕉の“疲れない歩き方“でからだをゆるめて整えるー』を読む

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   これは現役能楽師が「ゆっくり」「長い距離」を「景色を眺めながら楽しく」歩くスローウォークを勧めた本。スローウォークでは筋肉は鍛えられないが、その代わり深層筋が活性化される。特に脚を上げる働きをする深層筋である「大腰筋」が活性化される。「日常の仕事こそが修行だ」という事上磨練、健康のためのウォーキングではなく、ウォーキングそのものの中に楽しみを見つける、それが大切である。日本人の旅の特徴として廻遊性が挙げられる。西洋の巡礼の多くは、エルサレムやサンティアゴなどの聖地に到達することを目的とする。できるだけ寄り道をせずに聖地にまっしぐら、それが西洋的な巡礼である。それに対して日本の巡礼路の多くは、たとえば四国巡礼にしろ、三十三箇所の観音霊場巡りにしろ、一応の始点・終点はあるが、ぐるぐると回りながら、さまざまな聖地を旅していく。場合によっては途中から歩き始めてもいいし、逆廻りもある。ぐるぐる回る廻遊性が日本の巡礼の特徴である。野口体操の創始者である野口三千三氏は、人間のからだをこういうふうに定義する。(一)人間のからだは、皮膚という生きた袋である(ニ)その中には液体的なものがいっぱい入っている(三)その液体的なものの中に骨も内蔵も浮かんでいる   私たちにとっての「からだ」というのは、まずは皮膚である。そして、(ニ)の定義は「私たちのからだは変化する」という可能性を示唆する。本書の後半では、松尾芭蕉を例に取り、生活の中でたまった垢を洗い流すため、人生のときどきでリセットをするためには、「歩くこと」が一番であることを説いている。この本は、数値的・外形的に示すことのできないものは端的に「存在しないもの」とされる私たちの生きている時代で、私たちの身体が計測機器で考量できない無数のシグナルを現に感知していることを教えてくれている。ウォーキングで日常を活性化させたいと考えている方には是非、読んでもらいたい一冊である。 祥伝社黄金文庫 680円+税

2022年12月13日(火) 枡野俊明 『おだやかに、シンプルに生きる』を読む

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   現役住職による禅語の教訓を紹介した本。この中で印象的だった禅語を紹介していきたいと思う。まず、非思量。これは、頭で考えてばかりいるから、イライラが募るということを教える禅語。次に、体露金風。これは目に触れる自然、それこそが悟りの姿そのものであることを意味した禅語である。そして、喫茶喫飯。これは、いま自分がやっていること、そのものになりきることが大事であることを示した禅語である。独坐大雄峰。これは、「いまこうして自分は生きている。そのこと自体が有難いことであり、そこにこそ幸せは宿っているのだ」ということを示した禅語。日々是好日。これは、晴れの日には晴れのよいことがあり、雨の日にもまた雨の日にしか味わえないものがあるということを示唆した禅語。白雲自在。これは、「心のなかに巣食っているこだわりや執着心を捨てて、自在に生きていくこと。そのために禅の修行がある」ことを説いている言葉である。山花開似錦。これは、「この世にあるすべてのものは、常に移り変わっている。移りゆくことこそが、永遠に変わらぬ真理である」ことを教える言葉である。花無心招蝶 蝶無心尋花。これは、縁というものはすべての人のもとに平等に訪れるものだということを教える禅語。白雲抱幽石。これは、孤独な時間をもつことがストレスを和らげてくれるということを教える禅語。而今。これは、命の真実は「今」にしかないことを説いた言葉である。歳月不待人。これは、「今日という日は二度と戻って来ない。いたずらに日々を過ごしていれば、あっという間に時は過ぎ去ってしまう。一日を大事に生きなければいけない」、ということを教える禅語。一行三昧。これは、「釣りをしているのなら、釣りになりきる。仕事と向き合っているのなら、その仕事になりきる。そういう心をもつことの大切さ」を説いたもの。人間到処有青山。これは、人間は本来、天職などというものはもっていないということを教える禅語。平常心是道。これは、日常生活そのものが道をなすということを教える禅語。直心是我師。これは、ありのままの心が道を示す師となるということを教える禅語。無念無想。これは、とらわれから離れ、ただひたすらに生きるということを説いた禅語。柳緑花紅。これは、自然はそのまま真実の表れということを教える禅語。松樹千年翠。これは、大事なものはいつも目の前にあるということを教える禅語。大道通長安